不遜と謙虚。「嫌い」「不快」の感情はあっていいけど、なくてもいい。

 
何かに腹を立てるとか、

何かを面倒くさがるって、

本当に不遜だなって。


 
謙虚でありたいと

思った時に、

ふと、すごくそう思って。

 
私は本当に本当に、

謙虚に生きたい。

謙虚でいたい。


自分の気持ちを吐き出すために、
noteに書いていて、

でも、さすがにこれは(投稿するのは)
どうなんだろうと、
思ったり何だりして、

下書き保存のままにしていた記事。

https://note.com/akari_k/n/n8ffc97fb2f5c

 
下書きのままにしておいても仕方ないし、

外に出すことで
私の場合、一段上に消化できるし
「完了」もさせたかったから、
 
ほかの下書き記事とともに
まとめて投稿した。

(連投って迷惑なのかもしれないけど…
そこは「すみません!postさせてください(>\\<*)」
って通り抜ける気持ちで。笑)

   


 
 
本当に、全部のことが、

自分を成長させるために、

気づかせてくれるために、

起きていたんだなって、今なら分かる。

 
私の未熟な面を見せてくれていたし、

「たまたま」ではなく必然的に起きたのだと思うし、

そのときの「怒り」っていうのは

本当に今はもうない。


それは完全に消化できたからだし、

今の自分が、そのときの自分とは

違う地点(視点、目線)に立っているからだと思う。



そして今は、

誰かに対して「怒り」や

「嫌い」という感情すら

もちたくないと思っている。


誰かに腹を立てたり、

誰かを嫌うって、不遜だなって。

思うようになった。

 

 
今までは、誰かを嫌ったり、
誰かに怒ったりすることって、

悪いことだとは思っていなかったし、

そういうことって
あって当然だと思っていた。


大切な価値観があるからこそ「怒る」んだし、

自分と相容れない価値観をもっている人には

「嫌い」「不快」の感情は湧いて当然なのだから。


今でも、その「当然、あっていい」という気持ち・考えは

変わらない。

(パーソナルライフコーチングでお伝えしている考え方でもあるし、
そこは間違いない。)


 
でも、ただ「自分としては」、

もう誰かを嫌ったり腹を立てたり、

ほとんどしたくないなって。

今は思っている。


 
これまで私は、「嫌いな人」というのは

結構いた。


昔読んだ東野圭吾さんの小説(母の蔵書)で、

 
「誰かを嫌うよりも、好きになることが

多いほうが幸せだ」

みたいな、

「嫌いになることは少ないほうが幸せだ」

みたいな

(うろ覚えすぎて…汗)

一文(誰か登場人物のセリフだったはず)を読んで、

 
「そうだよなぁ、確かにそうだよなぁ。
でも嫌いな人っていっぱいいる。」

って思ったのを、今でも覚えている。

(肝心の文章はあいまいだけれど^^;)


 
自分の中で大切にしていることが多かったり、

大切にしたい気持ちが強かったりしたから、

どうしてもそれに反する人には「嫌い」

と思ってしまった。

 
そしてそれでいいとも思っていた。

 
「嫌い」も多く強く思うぶん、反面「好き」も多く強く思うもの。
何事も”悪い面だけ”のことってない。

 
実際、嫌いな人とは

「関わらないことを選べばいい」と思っていた。



もちろん、

「嫌いな人との関係に困っている」方には、

付き合う上での考え方や

コミュニケーションの工夫として可能なことは

お伝えできるし、してきた。



でも、今は、もっとフラットに

もっとニュートラルに

広がった視界で物事を見られるように

なった感覚があって。


 
それは、若いころの「絶対こうじゃなきゃ嫌だ!!」

みたいな鋭く尖った想いを失うのと引き換えに

「どっちでも、いいよね」と思うことが増えてしまった

「老化」にも似た成熟かもしれないのだけれど、


とにかく、「怒り」や「嫌い」の沸点は

自分しだいでかなり下げられるし、

「下げようか。」と、思うようになった。

 
嫌いと思う人にだって、

さまざまな背景やバックボーンがあって、

これまでのたくさんの人生の時間があって、

言動や価値観ってそうやって

できあがってきている。



だから、ただ「そうある」を

認めたいし、認められるなぁって。

 
近くも親しくもない、どんな他人でも。


 
 
何より、誰かを嫌ったり

怒り感情をもったりしない

ということは、

自分の心にとって一番プラスがある。


 
自分の心が楽だし、

怒る自分より怒らない自分のほうが

誰だって好きだろうし、

だからそんな自分のほうが

さらに好きだと思えるし、


そして、

誰かから自分が

嫌われたり怒られたりすることの

恐怖心や耐性も、かなり変わるのだ。


 
 
自分の感じ方、受け取り方、とらえ方は、

すべて自分のもともとの心が発端だから。


 
自分が世界への接し方を変えたら、

世界が自分に対してしてくることの

感じ方も、リンクして変わるから。


 
 
………………………………………………………………………

この記事に書いたように、
https://note.com/akari_k/n/n8ffc97fb2f5c

怒りを感じるときって本当に

体の中でものすごい「活性酸素」が湧いている感覚になって、

健康にも美容にもものすごく悪そうなので(^^;)…


自分を気づかせてくれた、

人生で一番?くらいの怒りや悔しさを

感じさせてくれた出来事には、

やっぱり今となっては、感謝ですね。


もうこの先は、二度と味わえないかもしれない(笑)

味わわないでいられる人生だといいな…^^汗

 
 
(私の尊敬する)トム・クルーズが、

映画撮影中、コロナ感染対策を

怠ったスタッフに激怒したような、

 
そういう「プロ意識からの怒り」も

必要なときはあるんだと思います。


 
でも、本当に大切じゃないことや

小さなことへの怒りは、

なくていいですね。



 
「怒り感情」へのマネジメント法について、

だいぶ前からセミナー内容として

まとめていた草稿も出てきました。

(データ整理していたら。。
まったく存在すら覚えていなかったものです^^;)


こちらの草稿をブラッシュアップしたものを

そのうちPLCAを通してお伝えしたいです。


 
それと、

怒り関連のブログ記事(下書きだったもの)も

この機会にまとめてpostしておきます。


 

 
読んでくださってありがとうございます。


 ライフコーチ 上村あかり



オンラインサロン「思考整理サロン」

>>詳細ページ

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