「正解探し」をしていた話。

2021年4月

「正解」なんてない。

この世に絶対的な「正しい答え」なんてない。
「ただひとつの絶対的な事実」なんていうものもない。

あるのは「その人にとっての答え」であり、
人それぞれの「解釈」だけ。

 
 
それはいつもコーチングや講座で
皆さんにお伝えしていること。

 
 
けれど、最近の私、
【正解探し】をしてしまっていたなって、
思うことがありました。

 
絶対的な真理や、
正しい答えなんてないのに、

「何が正しいんだろう?」

と無自覚に考え続けてしまっていたというか。

 
 
そうしてしばらく過ごしてから、
やっと気づきました。

あれっ!「正解探し」しちゃってたじゃん、って。


つくづく、「自己認識の透明化」
そして「無意識的な思考」って
ほんと怖い。です^^;




まぁ何を考えていたかっていうと、
スピリチュアル的なことについてなんですけど。


「この世界の真理」
「宇宙的な真実」として、

そういうことについて
話している人もいますよね。


正しい「真理」・「真実」
として認識したほうがもちろん、

信じられる度合い
(自分が、それを信じられる強さ)
は高まりますから、

そう認識することが
自分の力になるという意味で
有益なんだと思いますけどね。


でも実際、
宇宙の真実・宇宙の法則なんて、
誰が確かめられるんだろう
と思ったり。

 
「量子」とかも。。

調べてみても、理系脳のない私には
全くちんぷんかんぷんで^^;(笑)

電子レンジのしくみも、
Wifiのしくみも、
電話のしくみも、
よくわかっていない私だから(←)、

そういうスピリチュアル的なことも

「自分がよくわかっていないだけで、
確かに存在していること」なのかなぁと
ぼんやり思ったり。

私、この”わからない前提”という考えが突き進みすぎて、
たとえば「命は大事」という世界の絶対的な常識も、
「そもそも誰が決めたんだろう?」⇨「やっぱり、人間が生活の中でどこかで勝手に決めたことだよなぁ。絶対的な真理っていうわけではないよなぁ。」と思うに至ったり^^;

だからといってもちろん、「だから命は粗末にしてもいい」なんて思っているわけでもないし、
真理じゃないからといってそれが「大切に扱う必要はない」というジャッジにつながるわけもないですが、
ただ「絶対的に決まっていることじゃないけど、でも私はこの価値観を選ぶ。私たちはこういう判断・常識を採用する。」という見方が大切だよなぁと思うんです。

いや、別に大切でもありません。
私が、そういう認識を採用したいだけ。

…話が逸れましたが。


私はどうしても、
スピリチュアル的なことって信じられないんです。

それはこれまでいろいろな本を読んだり
人の話を聞いてきても、

「信じよう」と思ってはみても無理だったり、
やっぱり疑わしさを探してしまったり、

確かだという証拠はどこにもなくて
結局はどの話にも
解釈しか存在していないんじゃないのかなと
思えてしまったり。

 
で、私がそういう考え、
疑いの目をもっているから、

私にはスピリチュアルの法則の恩恵が受けられないのかな、
私の信じる力が足りないのかな、
と考え始めたらそれはもうドツボですよね。笑


その先ってきっと、

「自分が報われないのは信仰心が足りないからだ。
もっと信仰を深めなければ。信心深くならなければ。」
と思い込んで
自分のエネルギーを信仰に注ぐことで、

本当にエネルギーを注ぐべき実生活がおろそかになり、
そのためにさらに
「まだ報われない。信仰心が足りないからだ」
と思う…というエンドレススパイラル
(しかも状況が悪化するほうのループ)
なんじゃないかとも思ってしまいます。

(たとえば自己投資すべきお金を、宗教団体へ注いで吸い取られてしまうとか・・。よくある話ですよね)

 
それで私、
「スピって本当なのかな?」
「私が信じられていないだけなのかな?」
「信じられない私が間違っているのかな?」
「そうやって考えていることがそもそも私の直すべきところなのかな?」
と…そんなふうに、
なーんかしばらく考えてしまっていました。

 
その答えを探すために、
もちろん行動もしてみました。

考えるだけじゃなくて、
発信している人の言葉や情報に
直接触れてみたり。


そうしてみて、わかりました。


・・・結局のところ、やっぱり「解釈しかない」


って!!笑



スピリチュアルも、

「幸せに生きるために」
「生きやすくなるために」

使うツールに過ぎないんだなって。


つまり、コーチングとか心理学と、同じです。

 
「ただ役立つから使う」
「ためになるんだから使えばいい」

すべてのことは
この感覚でいいんだなって、思えました。


つまり、「人類の工夫」っていうか。

 
ツールのひとつだから、
役立つ人は使えばいいし、
採用したい人は採用すればいい。

それだけの話だなって。
 



だから、「正解か」とか「本当に真実か」とか「正しい事実か」

っていうのは、やっぱり関係ない。

どちらでもいいことだった。

 
ただ、スピリチュアルな法則にしたがう(と思っている)ことで人生をうまくいかせている人が、

「まだこの法則採用してないの!?絶対これ信じたほうがうまくいくのに~!!」

と誰かに対して言ったとしたら、

それはまさに「大きなお世話」であり
その人自身が「盲目」で「独りよがり」であるかもしれない。


もちろん良いものは人に伝えたくなる気持ちは当然ですから、

私も

「コーチング使っていなくて悩んでいる人は、絶対使ったほうがいいのになぁ~~」

とは思いますし言いたくなります。笑


でも、
「自分が良いと思っているこの方法(ツール)だけが、絶対的に一番良いもの」
だとは思わない視野や柔軟さは、いつも持っていたい。

 
これ、前のブログからずっと一貫して言っていることでしたが。

 
コーチングが絶対的に正しいツールだとは、思っていない。

 
ただ、役立つことは事実だし、
苦しんでいる人が抜け出すための力に確実になるもの。

 
だから「私は」伝えたい、っていう気持ちです。


別に、要らない人には伝わらなくていいし、
使いたくない人は選ばなくていいと思う。

 
何を選びたいか、何を使いたいか、
何を採用したいかは、その人の自由だし
その人自身の生き方だから。


そんな感じで「正解探し」から抜け出せて
すっきりしました。


この記事は、誰かやスピリチュアル的な何かを
批判する意図は全くありません。

私は私の考えを整理したかっただけです。
 
 

 
ブログへご訪問いただき、ありがとうございます。

また更新します。

 

 上村あかり

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