ただ体が動いて平和に暮らせていたら幸せ。
日々、いろいろな、
お悩みを相談していただくけど、
私はそのすべてに対して
「悩みだと感じない視点」を
持てる。
持てるというか、
「悩みだと感じない視点」で
見えてしまう。
もちろん、悩んでしまう視点も、
ものすごくよくわかる。
悩みの中にいるあいだの、苦しさも。
だから寄り添うことも
共感することも、心からできる。
でも、
悩みだと思っているその事柄の中にも、
必ず
「むしろ感謝できること」や
「そもそもありがたい状況」があって、
何に目を向けるかによって、
自分の気持ちもとらえ方も、
行動も選択も、その先の未来も、
変わってくるのだということ。。
それを、寄り添いながら
伝えていく。
それが私の役割で、仕事で、
能力で、存在意義だと。
思っている。
体調が人生でどん底に悪くなった
時期を経験したことで、
私自身は
めちゃめちゃ幸せのハードルが下がった。^▽^;
幸せだと感じる基準が、
かなり下がった(いいこと^^)
というか、
むしろ、
「幸せ」っていうことに、
そんなに価値を求めなくなった。
私は人生の中で、
ずーっとずーっと、
幸せを大事だと思って、
望んできた。
小学校低学年の時点で、
「しあわせになりたい」
って作文に書いてた。笑
成績表オール5でも、
テストの点数学年1位でも、
別にあんまり幸せじゃないのって何でだろう。
友達にも先生にも恵まれてるのに、
別にそんなに幸せじゃないのって何でだろう。
頑張ったら、将来は幸せになれるんだろう。
そんなふうに思ってた。
「幸せ」というものが、
人生の上では何より大事で、
何より持っていたいものだった。
(そのためにいろいろ努力したり、道を歩んできて現在に至る。。)
でも、実は「幸せ」って、
そんなに、思っていたほどに、
超絶大事ってものでもないのでは??
と、思うようになった。
こんな変化は、自分でもびっくりした。
変化というか、気づきというか…。
「幸せ」って、別に
あってもなくてもいいものだなって
思うようになった。
そんなふうに思う自分になるなんて、
これは本当にびっくりした。
つまりは、幸せって、
いつでもどこでも自分が見ようと思えば
見つけられるものだから、
そんなに追い求めたり大切に考えなくたって
いいじゃんって、思うようになった。
幸せを”超重要視”していたころは、
きっとそう思える自信がまだなかったんだと
今は思う。
頭ではわかっていても、
幸せは「手に入れるものではなくて感じるもの」
だと知っていても、
そう思うようにしても、
完全に十分に
信じられていなかったんだと思う。
何より、
「そう思おうとする」っていうことは、
まだ自分のものに100%なっていない
っていうことの裏返しだった。
今は、もっとわかった。
体感して、体感して、その結果、
見ている場所が、立っている場所が、
以前の自分とは違っているという感覚が、ある。
「思うようにしている」んじゃなくて、
「どうしてもそう見えてしまう」の感覚。
だから、「幸せ」なんてものは、
いつだってどこにいたって
自分次第でいくらでも味わえるものなのだから、
追ったり手に入れようとする必要は本当にない。
感じたいときに、味わえばいいだけ。
”幸せが多いほうが、人生って良いよね”
とは思うから、
なるべく幸せを感じやすい生き方とか
結果的に幸せになりやすい行動とか選択を
していくことは、
意義があると思う。
でも「幸せになりたい」という願いを
一番早く確実に実現するコツは、
その自分のスタンスをまるっきり変えること。
その自分の地点から物事を見ないこと。
だと、心から思う。
”幸せは、猫が自分のしっぽを追いかけるようなもの”
(追いかけているうちは決してつかまえられないが、
「自分にあるんだ。」と気づいて追いかけるのをやめると、
いつも自分のあとからついてくる。)
ということは、
「知っていた」し、
「共感」してもいたし、
そうだそうだと自分で思ってもいた。
でも、本当の本当に、
自分の実感で、
もう一段階深いところで、
心底わかったとき、
そこで初めて、
「あ、今までは、本当の意味で
腑に落ちてはいなかったのかもしれないな」
と、不完全だったことに気づくもの。
自分の気づきについての不完全さは、
気づけたときに初めて
わかるものだったりする。
これだから、いろいろおもしろいし、
人生はまだまだ未知なことが
たくさんあるんだと思う。
だからこそ、コーチングも、
セルフコーチングも、
奥深いし、
終わりがない。^^
明日のサロントークでも
いろいろまたお話を深められることを、
楽しみにしています。
^^
上村あかり
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